長女と自分 [子育て]
ハルチンに厳しい私。
上の子だから、同性だから、(つまり長女だから?)
などといろいろ理由を考えてはみるものの
自分でも納得がいかない。
トーマは見た目(外見やしゃべり方や行動)が幼稚なので、
「トーマにはムリだろう」と思っていることが出来ると
すごい!と思ってしまう。
しかし、ハルチンは、小さい頃からしっかり者だし
何でも器用にできるほうなので、
「これくらい出来るだろう」と思っていることが出来ないと
「なんでやらないのッ!?」と思ってしまう。
損な性格と言ってしまえばそうなんだけど・・・
チラシにいろいろな絵本がかいてあった。
その中で、自分の持っている絵本に、ハルチンが○をつけていた。
しかもコメントつき。
「おもしろーい」「いいなー」「こわーい」
「ヘン!」「いみがわからない!」
そのコメントの一つ一つが私のツボだった。
まさに言いえて妙で、よく一言で表現している。
やっぱり私と感性が似ているんだなぁー、
と感心しながら、ふと思った。
もしかして、自分に似過ぎているから、厳しくしてしまうのではないかと。
人はなかなか自分をあるがまま受け入れたり
認めたりすることが出来ない。
多感な思春期をとうに過ぎ、「まぁしょうがないか」
と自分のことを半ばあきらめてきたおばちゃんの私でも
まだ、「こんな自分が嫌だ!」と思う時もある。
それは大体、直したいのにいまだに直せない、
性格的なことだったり、生活面だったりだ。
それと同じことをハルチンに見ると、激してしまうのだ。
自分がいまだに苦労しているから、小さいうちに直してあげたい。
とか、どうしてこんな事やって平気でいられるの?
とかいう、極めて主観的なものなのだ。
子供は親の思うとおりにはいかない、
親と子供は別人格ということを認めよう、
などと思いつつも、そんなに冷静ではいられない。
そして、実は大したことじゃないのに、
ハルチンに必要以上に厳しくあたってしまって、自己嫌悪
この、日々の葛藤から逃れられるほど
達観できるのは、いつになるやら。
(どこが不惑じゃっ!!(^^;)
ちなみにトーマに対してはほとんどありません。
前述の理由(トーマが幼稚だから)もさることながら、
異性というのは大きい。
だって共感できるものがほとんど無いんだもの!!
「理解出来ない」の連続なので、完全に別人格として
トーマの行動そのものを楽しめるのだ。
いつの日か長女と、「女同士っていいねぇー。」
と、温泉にでも浸かりながらお互いのダンナのグチ
でも言い合いたいものだ。
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